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2024年07月

手放す

あっという間に夏服の季節!毎年梅雨になる前に洋服の入れ替えをしています。昨年も袖を通さなかった服が処分できないままどんどん溜まっていきます。季節に1枚、年間4枚、10年で40枚!いやいやそのワンピースは20年くらい前からあるよ!でも来年は着ようと収納箱へ。

鏡の前にある真っ赤なマニキュアも毎日見ながらスルー。これを買ったのは今から40年以上前。ちょっとおしゃれしたいと買ってはみたけれど、自分の爪に塗った時その派手さにビックリしてそのまま、いまだに鎮座している。捨てなさい!と自分にいうのだけれど踏み切れない。

子どもの頃はまだ物のない時代だった。母が丁寧に洋服を解いて子ども用にしてくれたり、セーターをほどいた毛糸をヤカンの口の湯気に当てながら縮れを伸ばしたり。今ではそれなあに?と言われそうですが、それを見ながら育った私には「断捨離」という言葉の壁の高いこと!!

古い机の引き出しを開けると、父が使っていた万年筆。ちょっと黄ばんでいるけれど素敵な和紙の便箋と封筒。きちんとナイフで削られた鉛筆。古い手帳に書かれた「7月25日雨の音がフォルテ」などという文字。なんでも手に入る時代だからこそ、思いが詰まっているそれらの物が大切になり、自分と物の関係を「断」ち、そして「捨」て去り、見ないように「離」すことができるだろうか?とウジウジします。

ところが、私の住む街で素晴らしい取り組みがありました。商店街の道ばたに小さなテーブルがあり、そこには高価そうなお皿、有田焼のご飯茶碗、ガラスの水差し、手作りらしい箸置き、などが置かれています。時々その前に立ち止まって手に取る人、そばにある新聞紙で包んで持ち帰る人、袋から何かを取り出して置く人が現れます。

「どうぞのテーブル」なのです。自分では使わなくなったけど、誰かに喜んで使ってもらえる。今ではネット上で売り買いできるでしょうが、このテーブルに置かれている物たちは大切な気持ちがやりとりされているみたい。40年前に出版され、今でも読み継がれている「どうぞのいす」 (香山美子 作/柿本幸造 絵/ひさかたチャイルド)を思い出します。

私の「物」たちもどうぞと言えますように。

横山眞佐子

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