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2025年09月

つながる

テレビを見ていたら、介護施設で高齢の方達がマージャンを楽しんでいる風景が流れました。皆さん真剣で生き生きしておられます。

私がマージャンを知ったのは小学生の頃です。みんなで晩御飯を食べ、浴衣に着替えた父が「おーい!マージャンするぞ!」と言うと私たち家族4人はいそいそと父の部屋に。最初は同じ模様の牌を集めるくらいしかできなかったのに、少しずつルールが頭に入ってくる。そうするとどうしたら勝てるのか色々考え始めます。たとえ相手が父でも、やるからには勝ちたい!多分、父の配慮があったとは思いますが勝てば嬉しい。

博打と言われていたのを知りながら、家族みんなでやれば楽しみのゲームでした。今のようにテレビも、パソコンゲームもない時代だったからこそ、家族の団欒が当たり前だし親も子も夕飯の後のほっと一息だったのかもしれません。そのうちに将棋、囲碁、トランプ、花札、父がしてくれる手品、更にジェスチャー。親戚が集まれば、従兄弟達と即興劇などして、酔っ払っている大人から拍手喝采。大人も子どもも一緒に笑ったり騒いだりしていました。

もしかしたら開けっ広げの大人を見る事で、子ども達自身がどこまでなら許されるのか、善と悪の境目はどこなのか学び取っていたのかもしれません。

ゲームやスポーツは勝ち負けのはっきりした世界ですが、その他の世界では順位を付けない、「みんな同じ」という平等の考え方が広がっています。それは人間にとって絶対に必要な根本の考えですが、だからこそ「でも、みんな違う」と、深く考えてみたいのです。

今、ここにいる「私」は他の誰にも代われないたった一つの存在。隣にいる友人も同じ。実は、人間だけではなく沢山の生き物は全て一つの命、一つの個性を持って生きているのです。
そして一方では誰もが、両親やその前のたくさんの祖先とつながっています。考えれば自分はひとりぼっちではない。

生きていく間には、辛いこと、悲しい事がいっぱいあります。でも、誰かと繋がっていると思い、笑ったり泣いたりして今日を過ごしていきましょう。

横山眞佐子

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